西法寺の沿革
- 正徳2年(1712年)
- 六世安山楚宅代に、安叟派(海蔵寺を本寺とする末・孫寺)に対して報恩
山善福寺を門首と定め、本寺の代行を命ずる文書が届く。 - 享保3年(1718年)
- 同和尚代に、千人の人々が集まり小野寺開基殿一族の念仏供養塔を建立。
- 享保8年(1723年)
- 同和尚代に三界万霊等(塔)を建立。
- 明和年間(1764年 ~1772年)
- 七世曦山宅陽から九世桂龍呑丈代に本堂焼失。
- 安永7年(1778年)
- 九世桂龍呑丈代に狐塚佐々木長兵衛より雲版寄進。
- 寛政10年(1798年)
- 十一世千丈石門代、桂薗寺が海蔵寺に直登するため、当寺を含む安叟派寺院門下九カ寺がそれぞれ五~六両を上納金として納める。
- 文化年間(1804年 ~1818年)
- 十一世千丈石門から十二世泰山玉秀代に本堂焼失。
- 安政3年(1856年)
- 十五世来應智宗代に中吉田柿崎嘉兵衛により、地獄極楽絵図五幅、大般若経ほかの経典を寄進。
- 明治26年(1893年)
- 十八世一應禅登代に本堂庫裡焼失。この時までの三度の火災で古記録の全てを失う。翌二十七年本堂建立。
- 明治12年(1879年)
- 『秋田県寺院台帳』によれば焼失前の本堂は八間×四間。庫裡は六間×十二間であった。
- 昭和23年(1948年)
- 十九世中興大観源光代に現在の本堂落慶。昭和十六年に基礎を造ったが、太平洋戦争に伴う混乱と不況のために中断していた。
- 昭和29年
- 大権修理・達磨大師像が施入された。製作者は横手市の中山人形三代目樋渡義一である。
- 昭和40年(1965年)
- 二十世大運幸道代に庫裡建立。
- 昭和55年(1980年)
- 十二月、同和尚代に当寺裏の吉田城跡が秋田県指定史跡となる。
- 昭和60年(1985年)
- 同和尚代に門前の千年杉を用材にして山門落慶、法要。
- 平成13年(2001年)
- 現住代に三階建ての吉祥閣(百畳敷客殿・位牌堂)落成。
- 平成14年(2002年)11月
- 二十世大運幸道大和尚遷化される。
- 平成15年(2003年)6月
- 本葬儀を執り行う。
- 平成16年(2004年)9月
- 先代和尚の供養として、富山県高岡市において大梵鐘を鋳造する。
- 平成17年(2005年)4月
- 大鐘楼堂の着工。
- 平成18年(2006年)
- 同和尚代、境内諸整備と共に東北有数の大きさの大梵鐘、鐘楼堂は東北一の高さで12メートル。前には阿吽の石造仁王像と不動明王が造立された。
- 平成20年(2008年)
- 寺務所・茶処建立。
- 平成21年(2009年)5月
- 境内地に墓地を造営する。
- 平成21年(2009年)6月
- 二十一世大道泰圓和尚(現住)晋山式。
- 平成22年(2010年)5月
- 永代供養塔を建立する。
- 平成19年(2007年)
- 境内地墓地整備
- 平成23年(2011年)
- ペット合葬墓「癒慰の塔」整備
- 平成25年(2013年)
- ペット火葬場「癒慰の苑」建立
- 平成27年(2015年)
- ペット塚整備
- 平成28年(2016年)
- 檀信徒会館「鳳凰閣」建立
- 令和元年(2019年)8月
- 合葬墓建立